時計の針があのころまで もう一度戻ったとしても
あんなにつらくて怖くて受け入れたくなくて、負の感情でしか埋め尽くされなかった1時間半は過去に経験したことがないしできればこの先も経験したくありません。
応援しているグループのメンバーが事務所を辞めるそうです。それに伴いグループも脱退するそうです。
そうです、というか事実なんだけどどうしてもまだあの会見の映像とかFCにアップされた言葉とかがどうしても現実味を帯びなくて。どうしても受け入れられなくて。どうしたらいいか分からないからはてなブログにきました。
わたしが関西ジュニアに会えたのは、康二くんを応援できているのは関ジャニ∞がいたからです。
わたしがつらくて理不尽なことにも耐えられたのは関ジャニ∞がいたからです。
初めて関ジャニ∞を見たとき、彼らはもう7人でした。
なんかヒョウ柄の変な服を着て歌っているやけに賑やかで途中で漫談みたいなのもあるPVを見たのが初めての関ジャニ∞との出会いでした。
よくわかんないけどトンチキな衣装を着て変な曲を歌っている関西のお兄ちゃんたち。それが関ジャニ∞の第一印象でした。あれはどうやら2006年のことだそうです。そこから12年、早かったなぁ楽しかったなぁ。
わたしはエイトのいつでも嘘をつかないところが大好きです。
テレビでは相変わらず陽気な関西のお兄ちゃんたちなのに、ライブになると大事なことをいつも言葉や歌にして伝えてくれる、そんな有料コンテンツ大勝利の関ジャニ∞が大好きです。
こうなって初めてどれだけ関ジャニ∞に毎日を救われていたのか気づくという大馬鹿ものです。つらいときに聞きたい曲も関ジャニ∞だし、嫌なことがあったときに見たいのも関ジャニ∞だし、その逆で楽しいときに聞きたい・見たいのも関ジャニ∞でした。
大学生の時わたしのキャパでは受け止めきれないほどの理不尽さや絶望を感じた時期がありました。そんなのもっとつらい人と比べればなんてことないのだけれど、わたしにはつらかった。もう無理だと思った。誰にも認められず毎日毎日楽器を弾くのが苦痛で、だれも助けてくれなくて、小さいころから続けてきた音楽を初めて本気で辞めたいと思ったとき、はじめてこんな耳聞こえなければいいと思ったとき、その時も救ってくれたのは関ジャニ∞でした。
蒼写真の「時計の針があのころまでもう一度戻ったとしても きっと同じ道を選んで悩み歩いてきただろう」という歌詞にどれだけ救われたか。
今回のことについて、いろんな受け止め方があるだろうしファンの数だけ感じることがあるはずだしその感じ方に良い悪いなんて絶対ないはずで。でもここ3日間いろんな考え方を目にしましたが、多くの人がエイトのことを悪く言わずにそれぞれの思いを紡いでいるのを見て、あぁこれが関ジャニ∞の14年間だし渋谷すばるの21年間なんだなと思いました。
これがすばるくんが、よこちょひなちゃんまるちゃんやすくんおりょん大倉くんが作ってくれたeighterとの関係性なんだなと思いました。そしてこの関係性はエイトのメンバーの関係性から織りなされているんだなとも感じました。
だってあの会見を見て、もうわたしにはすばるくんに簡単に辞めないでとは言えなかった。きっとわたしなんかが考えられる100倍以上、いやそれ以上にメンバーがメンバーを思って考えをまとめてきて、それがあの会見だったりあの言葉なのだから。
でもやっぱりどう考えても脱退してほしくないんだよな~~これからも真ん中で小さい体を揺らしながらメンバーの音に乗って歌うすばるくんを見ていたいし、まだまだ聞きたい曲があるの。
よこちょとひなちゃんと肩を並べて先頭を走るすばるくんを見ていたいし、彼らにはこの先も一緒に歳を重ねてほしいの。なーんてメンバーが一番そう思ってるよね!!!
すばるくんが海外に行きたいんだからしょうがないなんて物分かりのいいファンにはなれなかったみたいです。
っていうかあんな会見でも顔が天才ってどういうこと。みんなひどい顔してたけど顔の造りは世界一の7人組なのは変わらずだったわ。
こうやって3日経ちましたが、まだまだ受け止めることは出来そうにないしみなさん言ってるけど、わたしにとって関ジャニ∞=渋谷すばるだったから果たして受け止められる未来が来るのかもわからないけど。ゆっくり自分のスピードで頑張ればいいってまるちゃんが言ってくれてるから。
今はその言葉にありがたくも寄りかからせてもらいながら、自分なりに解釈できればいいのかな。と思っています。