むかいこうじくんの おはなし
向井康二(23)
2006年に入所、今年の秋で入所11年目の関西ジャニーズjr.のメンバーです。
彼には少し前まで、隣に2人の仲間がいました。
1人は天然でちょっと日本語が不得意で、人の懐に入るのがとても上手な心の優しい男の子。
もう1人は康二くんの隣りといえばこの子しかいない、2人で支え合い高め合い時には慰めあってきた男の子。
康二くんはきっとこの2人が大好きだったし、3人が3人ともを大事にしていた、そんな3人組を【kinkan】と言います。
ジャニーズWESTのデビュー前、関西にはveteran、BOYS、B.A.D、7WEST、kinkan、なにわ皇子…*1
今では考えられないほど多くのグループが存在していました。
そんな関西jr.戦国時代にkinkanの3人は全員がアクロバットができること、揃った迫力のあるパフォーマンスをすることを武器に戦っていきます。
そしてkinkan史上 最も力を入れてパフォーマンスされたであろう『2nd movement』
まいジャニshow time、松竹座、少クラ、まいジャニコン、あけおめコン、関西jr.全国ツアーなど何度もパフォーマンスした大切な曲です。
3人でビデオで撮影しながら固めたダンス、少しでも変化をつけようと思って衣装の着方を変えたり。全員が10代で、儚げな雰囲気を纏いながら力強く踊る、あのパフォーマンスにどれだけ心を奪われたことか。
“kinkanといえば2nd movement”と言われるのが本当に嬉しかったし誇らしかった。このまま3人でどこまでも行けると思ったし、この3人を応援し続けたい!と思いました。
しかし1人は美容師になる道を選び東京へ、もう1人は活動拠点を東京に移し、いま康二くんはその時の2人の仲間とは離れて大阪で1人活動を続けています。
もう2度とあのパフォーマンスを見ることができないんだな、儚げで陽だまりのような暖かさを持つ3人を見ることはできないんだなと思いました。
ですが、2017年の冬。
東西SHOW合戦で約3年ぶりに康二くんが『2nd movement』を、あの時とは違う仲間たちと披露しました。
それも当時の仲間が活躍している"東京"という地で。
東京で美容師になるという夢をまさに叶えようとしている仲間と、東京jr.の第一線で活躍している仲間のいる"東京"で彼は歌うのです。
《切ない痛みをメロディに乗せて響かせて》
《傷ついた愛を優しく奏でて》
《伝えたい大切なあなたへ》
《何度でも届けたい大切な想いを》
この曲、サムライダーからアイドルになりたい!的な流れで披露され(説明が雑)、おそらく【転生】*2を表す曲としてパフォーマンスされるのですが、どうしてもそれだけには思えなくて。
この3年間1度も披露されることなく話にも登らなかった曲がこのタイミングで、しかも"東京"という場所で再び披露される意味を深読みしないオタクなんているのでしょうか。*3
kinkanというグループが解体されてから約2年半、いろんなことが変わっていきました。
でも向井康二くんは変わらず関西jr.として活動しています。春も夏も冬も松竹座の舞台に立ち続けてくれています。
以前レコメンに出演した時*4、『関西jr.の知名度をあげて、スキルをあげて、それからデビューしたい』 と康二くんは言いました。
関西jr.のことを第一に考えるその関西イズムというか、素敵だけどそんなに背負わなくていいのに、もっと自分のことを考えてもいいのにと思った2015年秋。
それから1年後の2016年秋。新聞のインタビューで『突き詰めて考えると、やっぱり目標はデビュー』と彼は言いました。
この1年間になにがあったのかなんて計り知れないですし、その部分は考えるべきではないとわたしは思っています。ただ、目標はデビューと言ってくれたことが嬉しかった。
こんだけ長ったらしい文章を書いて、結局なにを言いたいんだこいつはというと
向井康二は進化し続けている!!!ということです。
康二くんは決してムエタイの子でも*5、率先して笑いを取る子でも*6、kinkanが解体されて可哀想な子でも、紫耀くんともともと同じグループだった子でもありません。
向井康二 です。
わたしの大好きだったkinkanはもうないけど、わたしの大好きな向井康二くんは変わらず活躍し続けてくれています。
本当に全世界100億人、老若男女に今の向井康二を見てほしい。
kinkanという大切な宝物をそっと大事に宝箱にしまい、いまこの時も進化し続ける向井康二を見てほしい。
彼のこれからがより一層、幸せでありますように。
いまこそ、新しい扉、just now,breaking out!!